2018年7月21日土曜日

マットの上の選民意識

「ヨーガとは、
マットの上で始まり、
ヴェーダーンタで終わる」

と思わせる表現、大問題ありです。

だって、
「マットの上にいない人は、
ヴェーダーンタを勉強する資格が無い」
と言わんばかりじゃないですか?

「そんなつもりで言ってない」
と言いながら、そのようなことを言うのは、なぜでしょうか?

マットの上で練習していることが、
そんなに偉いことだと思っているのでしょうか?
何?その選民意識??

人間として生まれた人なら誰でも持つことができる、
人間としての特権である「根本的な疑問」に、
完全に答えるのがヴェーダーンタです。

マットの上にいてもいなくても、関係ありません。


ヴェーダーンタの話をするのに、
なぜにマットを持ち込むのか???
 
マットの上で「ヨーガ」 をやっているつもりの人に、
「体を曲げてるだけでいいの?それがゴールなの?」
という切り口で入りたいのは分かるけど、

確かにマットの上で心身を鍛えて落ち着かせるのは、
ものごとの見方を変えるきっかけを与えてくれるけど、

マットの上からじゃないと、ヴェーダーンタの教えるヨーガは始められない、
という印象を与えてしまっているのは、大きな罪ですよ。

「どんなつもりは無い」と言っても、
実際、そう信じている人々が沢山いるんですから。

これって正直、
焦ってマーケティングした結果のように見えるのだけど。。。